鎌倉大船校 美大学科Blog

授業なんか行きたくなかったあの日

2010.08.05

夏期講習、学科教室も毎日、授業がある・ないに関わらず
自習をする生徒さんでにぎわっています!

講師がいなくても、自習室として自分で勉強している生徒さん…
えらい。すばらしい。


学科教室で、いろんな受験科のいろんな生徒さんに接していると
自分のだめな中高時代を思い出します。

わたしは、横浜市の小中高一貫の
いわゆるお嬢様学校を出ているのですが、
この学校、いろいろときびしくて
よく漫画に出てくる、
「5限、フケよーぜ」
なんて、夢のまた夢でした。(捜索されて、オオゴトになる流れ。)


そんな学校の中、唯一、私には授業をサボった記憶があります。

あれは中学3年の初夏。
学校で、選択制のフランス語の授業がはじまりました。
フランス語にちょっと興味のあった私は、その授業をとって
土曜日の午前中に、学校に行って授業を受けることになりました。


いまでこそフランス語を教えたりなんぞしているものの
そのときは、ほんと〜にサッパリ、わからなかった。

目の前に現れた、フランス人の中年女性の先生。
カタコトの日本語で始まる授業。

「アン・リーブル!!!」
「アン・シャ!!!」
「セ・タン・リーブル!!!!」

はあ〜〜〜??? と 目を白黒させているうちにも
授業はハイテンションでどんどん進んでゆき、
わたしは
Est-ce que をエスクと読む、(なぜエストーセ・クェではないのか?!)
という時点でイミがわからずつまづいているのに
フランス人の彼女は

「なぜわからない!! わからないのがおかしい!」

という雰囲気。

しかも周りはなんかみんな、ついていっている気が・・・・・


先生がいつも最後に言う
「アラスメンプロシェ〜ン!」という挨拶の意味もわからないし
いつしか私の頭の中では
先生=意味のわからない挨拶をする人 となって
すっかり心の扉も閉ざされ
「オッヴォアー」 と元気よく挨拶を返す級友たちも
とてもとても遠い存在になってしまいました。

5月頃からはじまり、1回、2回と行くうちに
どんどん周りから置いて行かれ、さっぱりと何も身につかないまま
朝 学校に行く足取りだけが、どんどん重くなります。


そして、やがて、朝 気持ちが乗らずのろのろのろのろと歩いたがために
授業時間に遅れる日がやってきました。

でも、わたしには 遅れて入って、教室全体の視線をあびることすら怖かった。


で、逃げました。

学校についてから、その教室へは行かず
生徒のだれもいない校内を歩いて
屋上へ向かう、だれも来ない階段にひとり腰掛け
授業が終わる時間を待つことにしました。



up03662.jpg

(イメージ画像)



あの時間ほど、後ろめたい50分はなかった・・・・・・


校則で禁止されているCDウォークマンを 
いつもひっそり鞄に入れていたのですが
それでマリリン・マンソンなんか聴いたりしながら
やることもなく、落書きなんかしてみても
時間は遅々として進まず。

授業を受けていれば、わりとあっという間に過ぎる時間が
なにもしていないと、5分すら進むのが遅い。
ひとりで、誰もいない教室を 探検してみたり
トイレに行ってみたり
でも、その間もずっと、「サボっている」という後ろめたさは消えないのです。


そして、しばらく空虚な時間を過ごしたあと
やっとやっと、
授業の終わりを告げる鐘が鳴りました。

わたしは 「さも授業を受けたかのような顔をして家に帰る」
という気持ちでいたのですが
それでも、授業が終わった直後だと、クラスメイトに会うので怖い。
一刻も早く学校の外に出たかったのですが、
それから15分くらい さらに周到に時間をつぶしました。


よし、これくらいでもう大丈夫だろう・・・

そろりそろりと、下足室へ向かいます。



!!!!


会ってしまった・・・・・・


ふだん、クラスでもあまり口をきくことのない
というかむしろ、薄暗かった私を毛嫌いしていた系統の
元気でいい子系の二人組と 運悪く鉢合わせしてしまった!

「あれっ? つのさん・・・」(くすくす)
「つのさん、いたの? え、いなかったよね?」

「え・・・・」

「授業にいなかったでしょ。」

「え、い、いたよ・・」

「うそだあー いなかったよ」

「い、いや、いたよ・・・・・・・・! ・・・い、いたんじゃないかな・・・」


あきらかに私が間違ったことをし、追究する二人はあきらかに正しい立場。
そんないたたまれない状況。

ああ、みじめでした・・・


ヘラヘラと愛想笑いをして、その場を去ったものの

それからの土日は、

「月曜日に学校へ行ったら  授業をサボった卑屈な奴として噂されていないか」

という恐怖感でろくに遊びもできませんでした。


きびしいというか、絶対的な「良い!」という価値観がある学校でしたからね〜

そこから外れてしまうと、後ろ指さされるような環境だったのですよ。

いまから思えば、さっさと帰って

駅かなんかで時間をつぶしていればよかったのですが

そこまでの知恵も勇気もなかったんですよね。。


それから後の、フランス語の記憶というのが全くないのですが
一学期だけでとるのをやめたような気もします。
もう一回くらい、サボったような気もするのですが、全く覚えていません。
なにかつらい思い出があったのかもしれません。


あんな授業サボってやったぜ、というくらいの

面と向かった不良になれれば それはそれで人気も出たかもしれませんが

そんな勇気もない私は、ただの卑屈な中学生でした。


同じように、高校1年生の夏、近所の美術予備校(湘南じゃないよ)の
夏期講習に、どうしても行きたくなくて、
仮病を使おうとして親と大げんかしたり、
アトリエのトイレに籠もったりしたこともあります。


akaikutu.JPG

(「赤い靴はいてた女の子」@山下公園)


あのころ、なにがつらかったか。

それを考えると、やっぱり、わかんないしできないのに、
周りがどんどん進んでいって
しかも、「なぜわからない!」「なぜできない!」と
できない自分を責め立てるような

ばかにするような

先生の威圧的な態度に
どうしようもなくみじめな気持ちになって、
何もしたくなくなっちゃうんですよね。


講師室に身を置いている者として

これを読んでくださった方々に伝えたいのは

まずは

できないことは 悪いことでもなんでもないということです。


そして あの頃あんなにいやだったフランス語を

なぜ勉強する気になったかというと、

それは とてもすきな音楽と詩に出会って、

その歌詞や詩で勉強をはじめたというところにあります。


音楽をずっと聴いていて、まず音楽を覚えちゃう。

で、気になる単語を、すこしずつ辞書でひいてみます。

わかる単語が出てくると、楽しい。

すると、Est-ce queをエスクと読むということも、

もうそういうもんだ、と納得できてしまうようになりました。


ねこsmil.jpg

(「これならわたしにもできる!」)


受験時代も、じっと勉強するなんて耐えられなくて

いかにして楽しく、現実逃避しながら英語をやるかに力を注いでました。

そのときも、音楽や、あとはペンパルを作って現実逃避なんてことも

しておりました。

すべては逃避でした。

でも、逃避でも、終わりよければすべて良し。

結果的に力になったのだからまあそれはそれでオッケーです。



できないあなたは わるくない


これは学科講師・築野、ぜひみなさんに伝えたい。

英語がむずかしいのがわるいのです。

それをいかに、わかるように教えるか

それが講師の仕事です。


だから わからないところがあったら、そして

わからないところがどこなのかすらわからなくても、

気軽に 聞いてよね。

とりあえず学科教室に 遊びにおいでよね。


ぜったいにあなたをみじめな気持ちにはさせまい!

と、思っています。

いっしょにがんばりましょう。



あの頃 階段で聴いていたマリリン・マンソン

「LUNCHBOX」




成長してやる 大きくなってビッグな

ロックンロールスターになってやる

成長してやる 

そうすれば誰も僕をばかにしない



悔しさをバネにして

いつか あいつら(誰でもいいです)を見返してやりましょう。

ぜったいに自分をあきらめないでね!

どんなにのろくても、成長できますから。

あきらめず歩き続けたカメの勝ちです。


(築野)

湘南美術学院テレビCM